昭和57年2月13日の深夜に豊橋市民病院にて産まれました。
予定日を過ぎてもなかなか産まれず、吸引分娩にての出産だったそうです。
約1年3ヶ月後には妹が生まれ、新井家は父、母、私、妹の4人家族になりました。
幼稚園はキリスト教の教えが主だったため、お祈りをしたり、食事の際には神様にお礼をしてから食べていました。
幼稚園から始めたピアノは小学生4年まで続け、コンクールや発表会にもたくさん出ました。
人見知りでおとなしい性格でしたが、小学生3年生で始めた少年野球をきっかけに髪型は坊主になり、グランドを毎日走りまくる少年へと変わりました。
少年野球では友達がたくさん増え、大きな声を出しチームプレーを学ぶ機会になったので今でもやって良かったと思います。
小学校から引き続き、中学でも野球部で汗を流しましたが、高校では硬式テニス部に入りました。
テニスは初めてでしたが、思っていたより難しく、なかなかうまくなりませんでした。しかし3年間続け、たくさんの友達ができたのでとても良かったです。
愛知学院大学の歯学部に入学しました。親は歯医者ではなかったため、歯科という分野は未知の領域で、見ること学ぶことがとても新鮮でした。
特に臨床実習がとても好きで、歯についてを学ぶことは自分に合っているなと思っています。
部活では、準硬式野球部に入りました。
準硬式では硬球の球とは異なる、外は軟球、中身は硬球という変わった球を使います。オールデンタルという大会があり、全国の歯科大学が集まってやる大会では4年生と5年生のとき4位という結果でした。
今でも、その当時のメンバーで草野球チームで野球をやる機会があります。
大学卒業と同時に歯科でも臨床研修医制度が義務化され、研修認定施設での研修が必要でした。
ほとんどの同期の友人が愛知学院での研修を希望しましたが、僕は大学時代から口腔外科に行きたい希望があり、トヨタ記念病院に就職しました。
トヨタの研修医の同期には医者が15人いましたが、歯医者は自分1人だけで精神的にはとても不安でした。しかし同期の医者の仲間はとてもいい人ばかりで、すぐに仲間に入れてもらえ、とても充実した研修を行うことができました。
いろいろな科を回り、たくさん勉強しました。どれもためになりましたが、特に麻酔科や眼科、心臓外科はとても印象に残っています。
研修医2年目からは口腔外科で働き、主に親知らずの抜歯や顔面の骨折、口の中の腫瘍を多く診ていました。
研修医として救急外来でたくさんの患者さんを診させてもらったことがとても良い経験になりました。
これからもその時の経験を生かしながら歯医者の仕事をしていきたいと思っています。
2年間の研修を終えた後、刈谷市にある、やまむら歯科に就職しました。
やまむら歯科では5年間お世話になったのですが、本当にたくさん貴重な経験をさせてもらいました。患者さんに対する姿勢、治療に対する姿勢、スタッフや業者さんに対する姿勢など、どれも自分にとっては勉強になり、振り返ってみると人間的にとても成長させてもらったと思います。
保険全般、自費治療(オールセラミックやセレック、インプラント、矯正)などもやらせてもらい、地域密着型の歯科医院としての総合的な技術を、やまむら歯科で学ぶ事ができました。最後には責任あるチーフドクターを任せていただくことができ、感謝しています。
今の自分があるのは恩師である山村先生、並びに、やまむら歯科スタッフの皆様のおかげです。
あらい歯科も、やまむら歯科のように地域と密接に関わる、笑顔の溢れる歯科医院を目指していきます。